とうとうキャンパス閉鎖のまま、授業開始ということになりました。
なんでも、知らぬ間にそのウィルスをもらって、知らぬ間にほかの人にもあげてしまい、そのあとで熱がでたり、味覚がなくなったり、ということがあるらしい。
自分がかかってしまうのはともかく、知らぬ間に人にあげてしまうのはいやだな。高齢者の致死率は高く、若い人でも子どもでも、たまたま相性の悪い病気を持っている人は死ぬという。
人が死ぬきっかけをつくってしまうことになる。自分が生きることで、生きて動き回ることで、人を死なせることになる。殺すことになる。それがいやなら、ひたすら、ひきこもるしかない。
オンライン授業でも給料が振り込まれる私なんぞはまだいい。仕事に出ないと生活費が入ってこない人のほうがむしろ多い。
生活費を得ても、買い物がある。それは私も同じで、近所のスーパーにおっかなびっくり買い物に行く。
できれば4メートル、最低2メートルは他の人と離れるなんて、とてもむり。店員と話をしないわけにもいかず、商品やそれを入れるかごに触れないわけにもいかない。だから、ともかくリスクはある。
リスクがある以上、覚悟はしなきゃ。自分が死ぬ覚悟。人を死なせる覚悟。自分でとったリスクだから、自分が死ぬのはともかく、自分でリスクをとったつもりはない人を死なせてしまうのは嫌だと思う。
自分についても、コロナなんぞに殺されるんじゃ、死んでも死にきれない。死ぬまでにやりたいことがまだたくさん。いや、せめて一つだけ。
コロナウィルスなんぞに負けない社会の仕組み。すでにコロナの危険なしの安全国がなくなってしまった人類全体が、じっくりと引きこもっても、生活費くらいは自動的に振り込まれ続けるような仕組み。
そのアイデアを書きこんだ本を書いているところ。せめて、これを出して死にたいと思う。
人々がそんなアイデアを活用して、今回のコロナウィルスによる人類規模の大規模な感染症の蔓延、パンデミックを、人類史の流れをかえる転機となる大事件にしてくれれば、私も成仏できる。
そんな私のアイデアは、すでにこのサイトから読めるこれまでの私の文章のなかにほぼ入っています。もう少し最近のものもどんどんアップしていきますので、活用してもらえればうれしい。
今回のコロナウィルス事件が、人類史に残る大事件であり、私たちがそんな事件に遭遇してしまっていることも、間違いないと思うのです。同じ時代を生きるものとして、それなりの覚悟をもって、じっくりと取り組んでいきましょう。