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≪たーくんゼミニュース!≫ ≪私の執筆部分だけ収録≫
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≪たーぜみだより≫
♪ たーぜみだより2014年第1号
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食らうべき学問をやろう!
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たーくんゼミニュース第49号 2014年度第1号 2014年4月4日発行
編集・発行:たーくん=岡野内 正(社会学部棟902研究室:otadashiあっとhosei.ac.jp)
ゼミ生募集中!
昨日のゼミ説明会は希望者10名ほどに、私と昨年度ゼミ生10名ほどで、シラバスと新しいレジュメをもとにおはなしをして、最後に希望者全員から一言ずつもらって、昼食会へ。4~6月の火曜と金曜は都心で他大と合同ゼミ、毎週木曜は多摩きゃん♡パスで、さらにサブゼミや読書会、合宿や研修旅行や、…充実しそうだけど、時間もお金もかかって、生半可では続きそうにないゼミの活動計画。…それにもかかわらず、5名の応募♡があって、本日4日金曜12時からゼミ室(社会学部棟620)で、選考会。5名だけなので、試験めいたことはやらずに、さっそくみんなの助けをもらおうと、あることを考えました。
あ、基本的に2次募集はやらないのですが、希望のところにいけなくなって、熟慮のうえ、どうしてもやってみたいという人は、選考会に直接どうぞ。単位抜きでやってみたいという人はいつでも歓迎なので、どうぞ。
ホヤホヤの原稿に修正意見を!
秋学期の月曜2限にやっている「社会を変える実践論」という授業。数年前から始まって、何人かで順番に登場してしゃべる学部の実験授業だけど、いよいよ、教科書をつくろうということに。
私の担当は、もちろんグローバル・ベーシック・インカムの話。…3月末締切で仕上げた原稿が、下にのっけたやつ。選考会は、こいつを読み上げて、学生の立場から、わかりにくいこと、ここをこうしたら、などという意見を言ってもらって、完成原稿に反映していきたいな、と。…ということでよろしく!
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『社会を変える実践論』第一草稿(岡野内担当部分) 第5章「国を超えた市民活動」
3.人類史の流れを変えるーグローバル・ベーシック・インカムと歴史的不正義―
3-1 根本原因を考えよう。
<援助疲れ>
開発援助に携わる政策担当者や活動家、研究者の間で「援助疲れ」ということばがある。アフリカやアジア、ラテンアメリカの飢餓や貧困をなくすためにいくらがんばって活動しても一向に事態が改善しない。もう疲れちゃったよ、という援助する側の実感を表すことばである。筆者もいくつかのNGOに深くかかわってきたので、気持ちはわかる。だが、退廃的で、いやなことばだと思う。理由は二つ。
第一に、21世紀になっていまだに人類70億人のうち9億人が必要な栄養を摂取できずに死にかけているという現実。それを前に、私は、そういう人助けに疲れちゃった、と言うことの倫理的な無神経さ。いわゆるいい子ぶるって、疲れるのよね、という冗談の次元とはわけが違う。ほんとうに良いことをやることに疲れてはいけない。疲れるようなやり方が良くないのだ。そうでないと、だれも良いことをやらなくなる。倫理的退廃である。
第二に、疲れるようなやり方を反省し、分析して根本原因を探らないことの知的退廃。「援助疲れ」などと言うひまがあれば、なぜ援助は失敗したのか、そもそもなぜ飢餓と貧困がなくならないのかの根本原因を探らなければならない。
同じことは、あらゆる種類の社会を変える実践についても言える。「活動疲れ」しないためには、心をきりりと引き締め、頭をぎゅっと絞らねばならない。
<社会現象の根本原因を探るには?>
およそ現実の世界で起こっている現象を分析する場合には、漠然とした印象で現象を論じるのではなく、現象を構成する諸事実を、空間と時間の軸の中に整理し、因果関係を考察する必要がある。
世界の飢餓と貧困という現象の場合には、貧しい人々が住む地域と豊かな人々が住む地域という地理的(空間的)な違いを、人類史(という時間)の中で考察しなければならない。ただし、ここで注意しなければならないのは、飢餓や貧困のような社会的な現象の場合には、社会的な空間と時間という独自な尺度をもって観察しなければ、大事なことを見落とすことになるということだ。
社会的な空間は、社会を構成するひとりひとりの個人を取り巻く狭い範囲の小さな、ミクロ(微視的)な社会空間と、そんなミクロな世界での行動が、あるやり方で関係しあって、ある種の仕組みが構成されている人類社会全体のマクロ(巨視的)な社会空間から成る(ドイツの社会学者ユルゲン・ハーバーマスが『コミュニケーション的行為の理論』で整理しようとしたように、ここでいうミクロ社会空間とマクロ社会空間を、「生活世界」と「システム」と呼んでもいい)。そして個人の生活時間からなるミクロな社会空間での時間の流れと、さまざまな文明が滅び、勃興してくる世界史上のさまざまの時代からなるマクロな社会空間での時間の流れは、当然、異なる。空間や時間が物理的に異なるのではなく、私たちが観察する場合に、観察対象に応じて異なる尺度をもたなければ見えないことがあるということだ。木の生育状況はその木に近づいて観察しなければわからないが、森全体の生育状況は、高い山の山頂か、空からしか観察できない。葉の細胞の光合成と呼吸は、夜と昼との交代がある1日の中の時間の単位でしか観察できないが、そうやって生育する植物の個体の成長は、せめて週単位以上でないと観察できない。
<飢餓と貧困の根本原因は?>
世界の飢餓と貧困をなくそうとして活動する。プロジェクトを立ち上げ、動かす。それらの個々の活動実践は、あくまでミクロ社会空間でのできごと。世界の飢餓と貧困が、マクロ社会空間の仕組みそのものからくるとすれば、ミクロな活動実践がマクロな仕組みを変える動きにつながらないかぎり、ミクロな動きは、まさにミクロな誤差として処理されてしまい、マクロな仕組みに埋め込まれた飢餓と貧困はなくならない。効果が得られなければ、当然、疲れてしまう。
では、世界の飢餓と貧困の根本原因を、マクロな社会空間と時間の尺度で考察するとどうなるか。まず、原始的な道具を用いるようになって開始される人類史上の原始時代は、生活手段の獲得をほとんど全面的に自然環境に依存するので、自然環境の変化こそが飢餓と貧困の根本原因だったと考えてよいだろう。ある人間集団が別の人間集団を支配する文明時代の始まりとともに、自然環境よりも社会環境すなわちマクロな社会空間での仕組みの変化が飢餓と貧困の根本原因になってきたと考えられる。すなわち征服戦争による人間そのものの殺戮や道具化(奴隷化)、生活手段や生産手段(土地などの自然資源と道具)の暴力的獲得と支配すなわち所有である。マクロな社会空間は、所有を基準とする支配階級と被支配階級とに分割され、独特の仕方で構成されるようになった。原始時代には、自然環境の変化によって、人々は、ほぼ等しく飢餓と貧困にさらされた。だが文明時代では、たまたま支配階級に属する個人は、被支配階級から奪った富を所有し飢えることはないが、被支配階級に属する個人は、自らの富をわずかしか持たず、飢えと貧困の恐怖にさらされる。それは人類最初の四大文明の時代から21世紀の今日まで変わらない。
以上の考察から、人類が原始時代から文明を築く時代に入る際の、暴力的な征服による所有関係の設定を起源とする、支配階級と被支配階級からなる階級分割社会というマクロな仕組みこそが、飢餓と貧困の根本原因だと言える。
<歴史的不正義からの正義回復とグローバル・ベーシック・インカム保証>
このような階級社会の起源となる暴力を、歴史的不正義と呼ぶ。下剋上の革命によって支配階級が交代、逆転しても、階級分割社会の仕組みそのものが変わらなければ、新しい歴史的不正義が加わっただけである。したがって、歴史的不正義をなくし、正義回復を実現するためには、支配階級と被支配階級という階級分割に基づかない社会へと、マクロな社会の仕組みを変えなければならない。これまでの谷間で水がぶつかりあってしぶきをあげる激流から、滔々とした原野を流れる大河へと、人類史の流れを変えねばならない。
なるほど、原始社会では、暴力的な征服によって所有関係が設定されなかったために、階級分割はおろか、階級という概念そのものが存在しない社会だった。したがって、歴史研究の深化とともに、文明から孤立した先住民社会を対象として人類学的な原始社会研究が開始された19世紀には、所有も階級もない原始社会の仕組みは、諸個人が平等な原始共産制社会として注目され、人々が平等に生産に従事し、富を分かち合う共産主義社会のモデルとされた。
だが、共産主義社会を目指すという社会を変える実践は、これまでのところ、ことごとく失敗に終わった。1917年のロシア革命に始まる、共産主義社会を目指す人々による一連の「社会主義」革命は、私的企業や諸個人の所有権を、「社会的所有」に移すと称して取り上げ、党と国家のエリート階級の所有とし、「社会主義」という名の新しい階級分割社会を作りだした。その結果、被支配階級である非党員や一般の国民の不満が高まり、1991年までにはソ連や東欧諸国の社会主義政権は崩壊し、アメリカなどのグローバル資本主義に飲み込まれる形で、再び私的企業や個人の所有権を保証する資本主義的な階級分割社会の仕組みに移行した。中国、ベトナム、キューバなど社会主義政権が崩壊に至らない場合でも、事実上、同様の移行が進行した。
こうして、資本主義的な階級分割社会でもなく、私的企業や個人の所有権を否定して共産主義をめざす社会主義的階級分割社会でもなく、すべての個人の所有権を尊重する階級社会でありながら、階級分割社会ではないような、マクロな社会空間の仕組みとして脚光を浴びてきたのが、グローバル・ベーシック・インカム保証社会である。
3-2 グローバル・ベーシック・インカムとは?
<無階級ではなく単一階級社会>
グローバル・ベーシック・インカム保証社会は、原始社会の無所有への観察から共産主義者が夢想した、無所有ゆえに無階級という社会ではない。地球人類すべての個人の所有権を平等に保証し、すべての個人が、自分自身の基本的な生存欲求を充たすための生活手段の所有者であり続けることを保障できるように、生産手段の所有権に制限をかけることによって、階級分割社会の出現を防ぐという仕組みである。したがってそれは、すべての人が所有者階級(有産者階級、あるいは小ブルジョア、プチブル階級といってもいい)に属する単一階級社会である。
近代市民社会と呼ばれる、自分の生産手段をもつ市民からなる単一階級社会というマクロな社会モデルの理想が、トマス・ホッブズからジョン・ロックに至る17世紀のイギリス市民革命期の人権思想の基礎を築いた民主主義思想家たちをいかに強力に突き動かして、階級分割社会の現実との間で格闘せざるをえなかったか、そして、19世紀初頭以降20世紀後半に至る自由民主主義思想の4つの流れ(功利主義、発展主義、均衡主義、参加主義)に至っても、やや異なる次元で同じ理想と現実との格闘が続いたことは、カナダの政治学者C・B・マクファーソンが、『所有的個人主義の政治理論』と『自由民主主義は生き残れるか』の中でみごとに分析している。ただし、政治学者マクファーソンは、ベーシック・インカム保証の議論を知ってはいたが、それが資本主義的な階級分割社会の仕組みを組み替えて、単一階級社会を実現する経済の仕組みとなりうる点を解明するには至らなかった。
<市場が制御する社会ではなく、社会が制御する市場>
グローバル・ベーシック・インカム保証社会は、現物ではなく貨幣所得の形で、地球上すべての個人に対して、基本的生存欲求を充たす生活を営むための生活手段の獲得を保障する。つまり人類ひとりひとりの生涯にわたって、生活費の仕送りが受けられるようにする。
お金を受け取っても、それで必要なものが買えなければ役に立たない。つまり、世界中で全人類が生存できるだけの必要物資が生産されて、それが世界の市場に売りに出されていなければお金で買うことはできない。1970年代以降の経済のグローバル化によって、20世紀末までにはそんな条件が充たされるようになった。同時に進行した、コンピュータを利用するIT(情報技術)革命と生産工程でのロボットの登場によって、フル稼働すれば、わずかの労働力を投入するだけで70億人の全人類に供給して余りある必要物資を生産して流通させるだけの生産設備を整える条件も充たされてきた。
だが現実には、世界の生産設備の多くが、70億人の人類がいますぐ必要とする生活必需品ではなく、ミサイルや空母のような兵器、軍需物資、核関連施設や巨大建築物などの生産に向けられている。なぜか? 70億人の人類ひとりひとりにはお金がないが、各国(とりわけいわゆる先進国)政府や巨大企業にはお金があるからだ。必要として欲しがっているだけでなく、買うだけのお金をもっている人(有効需要と呼ばれる)のために物を作るのが市場経済の論理だ。つまり、いまの人類社会は、市場経済の論理にしたがった結果、9億の人々を飢餓と栄養失調に追いやっている。ならば、人類社会70億人が一致団結して、政府と巨大企業に集中したお金をひとりひとりに分ければいい。そうすれば、市場経済は、このような有効需要の移転にしたがって、70億人の生活に必要な物資の需要に向けて転換することになる。
<市場に翻弄される労働者から、市場を超えて独立した経済主体へ>
それだけではない。すべての人が所有者階級に属することになるグローバル・ベーシック・インカム保証社会では、深刻な失業問題やワーキングプア問題や女性・外国人差別を生み出すような労働市場の格差構造に翻弄され、苦しんできた賃金労働者階級がなくなる。マクロな社会の仕組みを構成する階級として消滅する。それはこういうことだ。
現代の資本主義社会で、地代や株式配当の収入だけで暮らせる点で地主階級や資本家階級に属する人々の多くは、同時に会社勤めで給料をもらう賃金労働を行っている。それと同じように、グローバル・ベーシック・インカム保証社会のもとで人々の階級への所属がかわっても、賃金労働が消えるわけではない。また自営業や企業経営がなくなるわけではない。多くの人々は、ベーシック・インカムに上乗せする収入を求めて、賃金労働や、自営業、企業経営を営み、ベーシック・インカムを受け取る権利をもつ所有者階級であると同時に、賃金労働者や自営業者、経営者の顔を持つことになるだろう。だが、それらの顔は、自由に取り替えのきく、一つの顔でしかない。すなわち、ベーシック・インカムを受け取る権利を持つ所有者階級のひとりひとりは、生活に必要な収入を得るための考慮を離れて、自由に仕事を選び、雇用されたり、起業したりできる、独立した経済主体となる。
このような経済主体を確立することによって、市場経済の論理を徹底的に活用するとともに、市場経済を超えた経済活動を発展させる道が開けてくる。すなわち個々人は、芸術活動や人間や自然を対象とするケア活動やボランティア活動、さらに研究活動や政治活動に没頭することもできるようになる。したがって、環境と人間が調和した経済活動の自由な展開の可能性も広がってくる。それは、市場経済の意味での経済活動ではないが、人間と自然の諸能力を発揮させる活動という意味では広い意味での経済活動と言える。
<ベーシック・インカム保証の経済は行き詰まるか?>
人々が自由な経済活動を行った結果、生活必需品の生産に従事する人が減少し、生産も供給も減少して価格が高騰し、ベーシック・インカムとしての必要額も高騰し、その存続が不可能になるかもしれないと心配する人がいるかもしれない。だがそのような製品価格の高騰やその部門での賃金高騰こそ、より多くの利潤を求める投資家や追加的収入を求める賃金労働希望者を引き付ける要因となって、ロボットとITを活用する技術革新を伴う新規投資が行われ、生産と供給は回復し、生活必需品の価格は下落するだろう。
一般的な物価上昇(インフレーションと呼ばれる)がこのような現実の生産活動を反映しない、通貨供給の過多によるものであれば、ベーシック・インカム保証の金額を物価にスライドさせて上昇させることで解決する。
グローバル・ベーシック・インカムの保証は、国際基金からの国際的な現金移転が不可欠となるだろう。したがって、現在のような変動相場制のもとでは、為替レートの変動によって、一時的な困難が生じる可能性がある。したがって、不安定な経済大国アメリカを中心とする現在の国際通貨制度を改革し、より安定的な通貨制度にする必要がある。とはいえ、現在の通貨制度のもとでも、グローバル戦略を持つ多国籍企業は、為替リスク回避の技術を駆使して、順調に発展を遂げている。それらの多国籍企業のもとに世界市場から集められたお金をもとでとしてグローバル・ベーシック・インカムのための国際基金に繰り入れ、そこから世界各地の現地通貨の形で送金を続けることに、原理的な問題はない。インターネット・バンキングの発達と、携帯端末やATMの進化によって、技術的な問題も解決されている。
さらに、基本的生活費が保証されて、働かなくても暮らしていけるのなら、だれも働かなくなるのでは?と心配する人もいるかもしれない。しかし、身の回りをよく観察してみよう。十分に仕送りをもらう学生や自宅通学の学生は、生活できるからといって、アルバイトをしないだろうか。あるいは定年退職後の年金生活者は、みんな自宅でぶらぶらしているだけだろうか? 原始時代の人々は、基本的な欲求充足が充たされるだけで、満足して安らか眠れたかもしれない。だが、文明人は違う。基本的な欲求充足を超える人々の多様な欲望こそが、歴史的不正義によって階級分割社会を創り出し、建設と破壊に明け暮れ、あげくの果てに、そのような階級分割社会を乗り越えようとあがく文明時代の人々のエネルギーの源なのである。ベーシック・インカム保証社会は、「人はパンのみに生きるにあらず」という文明人の欲望を解放する仕組みなのである。
<全人類ひとりひとりが担う現金移転と基金の管理>
グローバル・ベーシック・インカム保証社会の仕組みが持続するためには、70億人の人類ひとりひとりが担い手となって、しかるべき額の現金がひとりひとりに確実に届けられ、その財源となる国際基金が維持され、管理されねばならない。人類70億人に必要生活経費となる現金を移転するのだから、国際基金の財政規模は大きい。2006年の世界銀行のデータに基づく筆者の試算では、世界各国の国民総所得合計額の30%くらいになる。だが、基金の管理運営を担当する仕組みは、単純で、複雑な組織は必要ない。
すなわち、現金移転の額が、ベーシック・インカムの名に値するものかどうか、それぞれの居住地域の気候など地理的条件や文化的特質を考慮して、基本的欲求を充たすのに必要な物資の種類と量が決められ、それに対応する時々の物価水準が考慮され、ひとりひとりによってチェックされ、モニターされる必要がある。そして住民どうしの十分な議論によって意見が修正され、煮詰められ、集約される必要がある。それには町内会規模での住民どうしの顔を突き合わせた集まりでの議論が不可欠だろう。議論が実りあるものとなるためには、自分たちの要求する金額が一因となって、人類全体ではどのような金額が必要となるのか、他の地域の住民の要求する水準と比べて、自分たちの要求水準はどうなのか、などの情報が、瞬時に住民全体に届けられる必要がある。(そのための技術的な問題は、コンピュータとインターネットで解決されている。)そのうえで、グローバルな基金から個々人への配分に反映されるような意思決定の仕組みが必要になってくる。
そのような政治的意思決定を受けた必要額の算出に基づいて、基金に繰り入れるべきお金をどこからどれだけ調達するかという、グローバルな課税問題が議論され、決定されねばならない。その際に、全世界で行われている経済活動について、とりわけ、世界市場経済とその中でさまざまの形の投資収益として所有権を拡大していく企業や個人の姿が明らかになるような資料が適切な形で提供される必要がある。(すでに国際機関やNGOは、有価証券報告書や各国税務当局の資料に基づいてそのような資料を無償で提供している。)そして、やはり全世界で、各地域の町内会規模での住民集会で議論され、そのような資料がチェックされ、必要に応じて修正されたうえで、どこからどれだけのお金を基金に提供してもらうかを議論し、それが集約されていき、全世界での意思決定につながる仕組みが必要である。
そんなことが可能だろうか? ここで、われわれは、さまざまに異なるのが当然のひとりひとりの意思から、全員のものとして一つの意思を決めること、すなわち政治的意思決定の仕組みの問題、したがって国家の問題を考えてみよう。それは、歴史的不正義の問題を考えることでもある。
3-3 歴史的不正義からの正義回復
<歴史的不正義を正当化するための国家と民族>
歴史的不正義とは、先述のように、原始社会から文明社会へと人類史の流れが大きな転換を示す際の、土地をはじめとする生産手段の暴力的な獲得による所有権の設定である。国家とは、このような文明の産物としての所有権を守るための官僚制と軍隊を総称する呼び名にほかならない。したがって、文明と所有権を守るための国家は、同時に歴史的不正義を正当化する。古代文明以来のさまざまな帝国から、民族自決原則を掲げる近代の国民国家(Nation State)に至るまで、あらゆる国家は、暴力的に獲得した土地への領有権を主張し、暴力的な獲得じたいを正当化した。
民族自決原則は、帝国による過去の暴力的な土地獲得、すなわち歴史的不正義を告発するものではあった。しかし、ひとたび国民国家が形成されると、その国家は、自国による暴力的な土地獲得すなわち歴史的不正義については、徹底的に正当化した。ユダヤ民族国家として形成されたイスラエルが、第二次大戦時のドイツなどの歴史的不正義に対して厳しく告発と正義回復を求めながら、建国以来のパレスチナ・アラブ人からの暴力的な土地獲得と歴史的不正義を正当化し続けているのは、その好例である。
さらに言えば、民族(ネイション)への帰属という発想じたいが、民族形成以前の時代の部族間の暴力的な土地獲得戦争という歴史的不正義の記憶を消し去ることによって、新しい連帯の論理を創り出して、帝国の支配に対抗しようとするものであったことも重要である。したがって、民族(ネイション)への帰属意識(ナショナリズム)には、常に、歴史的不正義への正当化がつきまとう。
<経済のグローバル化によって変わる国家と民族>
したがって、いままでのような文明時代の国家や民族のあり方を引き継いでいたのでは、支配階級が交代して土地などへの所有権が変わっても、また新しい歴史的不正義が行われるだけであり、いつまでたっても歴史的不正義そのものはなくならない。領土紛争や民族紛争が今でも深刻なのはそのためだ。支配階級と被支配階級とへの階級分割そのものをなくして、所有者階級という単一階級社会にしてしまおうというグローバル・ベーシック・インカム保証社会の仕組みへの転換のためには、これまでのような国家と民族のあり方を超えていく必要がある。
この点で興味深いのは、1970年代以降の経済のグローバル化に伴う国家と民族のあり方の変化である。すなわち、一方では多国籍企業の活動を円滑にする方向で、WTOに見られる国家主権を超える統治ルールの形成と、ヨーロッパでのEUに見られる民族を超えた国家統合の動きがある。他方では多国籍企業に対抗しつつ国際機関への影響力を強めてきたNGO活動を反映して、2001年のダーバン宣言に見られるように、国連じたいが、過去の奴隷貿易や植民地化の責任を問い、歴史的不正義を問題にするようになってきた。
とりわけ二度の世界大戦への反省から結成された国連は、その結成理念の中で、全人類ひとりひとりを対象とする、正義と生存と発展を守る仕組みを作ることをうたっていたが、国民国家の連合体(United Nations)という枠組みにとらわれて、十分にその役割を果たしているとは言えない。
グローバル・ベーシック・インカム保証社会を支える政治的な仕組みとしてみれば、このように変化の兆しを見せる国連の仕組みは、これまでの国家と民族の枠組みを大きく超えて、直接民主主義的な集会を持つ住民自治体の連合体の方向へと、大きく転換される必要がある。
<人類史の流れを変える理念と現実>
さて、ここまで読んできた読者は、グローバル・ベーシック・インカム保証社会というマクロな仕組みが、現代社会の諸問題(階級分割を基調に、民族差別やジェンダー差別がかぶさり、個々人の人格、人々が議論しあう場である公共圏、人間を取り巻く自然環境という3つのレベルでの破壊が進行している)への抜本的な解決策となりうるパワフルな理念であることを納得いただけたかと思う。
この理念は、現実のものとなれるだろうか。それは、読者諸氏の奮闘にかかっている。18世紀末にイギリスで奴隷制廃止運動が始まったとき、多くの人々は、それが非現実的だと考えた。実際、当時の世界経済は、アフリカから南北アメリカ大陸への奴隷貿易と南北アメリカ大陸で奴隷が生産する一次産品貿易に全面的に依存していた。だが、当時すでにイギリスで開始されていた機械の発明と利用がもたらした産業革命の全世界への広がりとともに、奴隷制廃止は、人類史の大きな流れとなり、20世紀の前半までには、奴隷制が地球上からほぼ一掃された。社会を変える実践としての奴隷制廃止運動は、人道的な啓発活動や廃止法制定の政治運動のほか、ハイチでの奴隷反乱や、アメリカでの南北戦争のように、世界各地でさまざまな形をとった。
しかし、ここで注目すべきは、人類史の中での機械の登場という技術進歩を前に、「もの言う道具」としての奴隷が不要になったことである。生存賃金を得るための契約を結んで自発的に働く賃金労働者のほうが、繊細で高価な機械の使用には、奴隷よりもはるかにマッチしたのである。…そして、その機械を見張って制御するコンピュータとロボットの技術が発明された21世紀の今日、賃金労働者は次々に職を失い、不要になりつつある。この事実は、人類史の流れを変えずにはいられないだろう。グローバル・ベーシック・インカム保証社会という理念の登場じたいが、このような現実を反映するものと言えないだろうか。それにしても、どのようにしてこの理念が実現するかは、多様でありうる。現実の分析によって実践の指針を示すことがその次の課題となる。(約1万2千字)
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食らうべき学問をやろう!
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たーくんゼミニュース第48号 2013年度第1号 2013年4月5日発行
編集・発行:たーくん=岡野内 正(社会学部棟902研究室)
りっぱな、ダメな人になろう!
…と、まじめに思っています。うふ♡
社会でばっちり通用する人はりっぱな人です。ご立派。
社会で通用しない人は、ダメな人です。ダメダメ。
しかし、社会はいろんな人で成り立っています。さまざまなものの見方をもってる人たち。
とりあえず大多数を占める人に支えられて、権力が生まれ、社会が成り立っています。
だから、社会で通用するっていうことは、とりあえずの多数者と、権力者にとって、立派だっていうこと。
社会ってものが、決まりきったままで、変化しないものなら、多数者と権力者はご立派なまま。少数者と権力をもたない人は、ダメダメなまま。歴史のない世界ね。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の…
ところが、社会は変わるときには、ガラッと変わる。
とりあえずの大多数の見方は、少数になり、少数だった見方が、大多数になる。
それにともなって、社会を支える権力も変わる。革命。人類にはそういう歴史があって、わたしたちもそんな歴史のまっただなか。
りっぱな、ダメな人っていうのは、そういう社会の変化を見通せる少数者、権力者ではない人たちのこと。今は社会で通用しないダメダメと言われても、数十年後、数百年後には、昔はダメダメだと思われてたけど、ほんとは立派な、ダメな人だったんだね、といわれるような人。
そういう人に、私はなりたい。…というだけではない。
りっぱな、ダメ大学をつくろう!
大学っていうのは、大学でやる学問っていうのは、そういう意味で、りっぱな、ダメダメなものの見方を研ぎ澄ますものでなければならぬ。
社会の大多数からみても、権力者からみても、ダメな人が集まって、いまの社会の現実に通用しない、ダメダメなものの見方を大いに学び、問いかけあう。その中に、社会の変化を見通すキラリと光るものがあって、それが、社会の大多数の人々が、社会の新しい現実を創り出す新しいものの見方を創り出すヒントになる。…あとから見れば、あれは、りっぱな、ダメなみかただったね、と。
食らうべき学問?
多数者や権力者にうけて、飯の種になる学問ではなく、未来の人類社会、世界の子供たちの明日のためになる、立派な、ダメ学問。…ただ飯を食って糞をするだけでなく、とにかくおもしろくってしようがない人生を生きるためには、そういう学問が、食らうべき学問。
だから、大学も、学問も、全人類のために開かれていなくては。…そういう、りっぱな、ダメ人間が、自由に学び、問いをだし、語り合う場にしなくては。…そんなことを考えて、25年間、たまたま教員として就職することになったこの大学でゼミをやってきました。
来るものは拒まず…
「この人数なら大丈夫だから、みんなでやりましょうよ」という25年前の初めてのゼミ希望者のひとりのことばから始まった、希望者全員受け入れの原則。それは、そんな私の大学と学問についての考え方に支えられています。…でも、数年前から、「学問とかはどうでもいいので、単位をください!」という声に四苦八苦。かつては、そんな声を圧倒するような、世間なみの立派さでしつけられてきたゼミ生の世界観をひっくり返すようなしかけをたくさん準備。ところが、こっちは、その学問の世界で忙しくなって、そういうしかけのための時間とエネルギーが準備できない。…そこで、単位と学問を切り離すことに。
新規ゼミ生12名確定
4月4日。ゼミ始まって以来、選考会めいたものをやって、19人の新規希望者といっしょにやることになる11人の3年生といっしょにどうするか考える。たまたま必修にした他大とやる10大学合同セミナーへの参加が無理だという5人が辞退し、2人が欠席したため、12人ならなんとか、ということで、希望者全員受け入れへ。二次募集はなし。
それでも学びたいひと歓迎
今年は、ベーシック・インカムの理論を徹底的に学んで議論します。次の本を題材に批判的に読みながら議論します。
トニー・フィッツパトリック『自由と保障;ベーシック・インカム論争』勁草書房、2005年。
カール・ポラニー『新訳 大転換;市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社、2009年。 4月8日から毎週水曜5限、620教室。もちろん単位はなしで、議論に参加したい人は大歓迎です。きゃ♪(岡野内)
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食らうべき学問をやろう!
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たーくんゼミニュース第47号 2012年度第2号 2012年4月25日発行
編集・発行:たーくん=岡野内 正(社会学部棟902研究室)
あは。がんばって3週間後の第2号です!!…そんなたーくんの気分は、多摩きゃん♡の新緑のように萌え萌え~、体調は、快食快便身体が宙を舞い、苦労は、睡魔と闘いながらの読書と作文、よかったことは、書物や生身の中のすてきな精神との出会い。
① 多摩きゃん♡とその裏山の美しい自然との出会い。…学内有機農業畑も。
② ぴかぴかの新入生、新ゼミ生、リフレッシュした在学生たち、新しい同僚たちとの出会い。…授業やめしやトイレで、友だち千人できそうで楽しい~!…市ヶ谷優遇、多摩差別反対で、ただバス運動が盛り上がりそうだし。
③ ラブレー『ガルガンチュア物語』『パンタグリュエル物語』(岩波文庫)のおもしろいこと!…やっぱりヒューマニズムの基礎はうんこだ。
④ 卒論生から借りた、逢坂みえこ『プロチチ1』(講談社、2011年:マンガだよ)、米田衆介『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか』(講談社、2011年)をきっかけに、アスペルガーの世界の深みにはまりそ!
⑤ 国際関係論、国際政治学、安全保障論、戦略論の最近までの動向、とくに欧米の動向のおもしろいこと。日本だと、ネグリにあまり言及せずにほぼ同じ論点を出す土佐弘之『安全保障という逆説』(青土社、2003年)、ネグリを無視してコミュニティ社会学から国際関係論に進出したEtzioni,Amitai, From Empire to Community, PalgraveMacMillan,2004 の系譜に依拠して東アジア共同体論を展望する山本武彦『安全保障政策』(日本経済評論社、2009年)など。あらためて、ハーバーマスのりくつが役に立つなと痛感。
⑥ そのハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論』の読書会(火曜3限519教室)が始まり、その理解に不可欠のマルクス『資本論』の読書会(水曜2限社会8階A会議室)も開始。…古典の風格が気持ちいい。
⑦ 5月の連休(2~4日)には、さらにハーバーマス『公共性の構造転換』の音読会(多摩キャンの百周年記念館の予定)もやることに。だれでも歓迎なので、早めに予約を!(日帰りもあり)
…というわけで、楽しくなってきたよ!!世界の学問をここから変えようね!
社会学の古典をじっくり読む春~ンフ♡??
演習1・2 2年生と3年生いっしょで、20数名に。新しいゼミ長など役職も一新。十大ゼミもいよいよ本格操業。さしあたりの最上『いま平和とは』岩波新書で、平和学の到達点をつかみながら、毎週1冊読書ノート読みまわしグループもできて、サポート体制をなんとか作っていきたいところ。
演習3 卒論テーマとネタ本(先行研究の中で優れたもの)、おおまかな構成を書いたエントリーシート(!)を大至急、たーくんのPCメアドに送ってください。参考文献の中から、書評をする文献を決めて、通信教育で、書評を積み重ねていきましょう。もちろん水曜4限のゼミ時間にも直接相談にのるよ。
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当面のスケジュール(だれでも参加歓迎!!)
5月1日(火)3限。519教室。ハーバーマス『コミュニケーション的行為の理論』読書会。神話的世界像の問題。これ以後は、下巻から読んでいく可能性。
5月2~4日(水~金)ハーバーマス『公共性の構造転換』(未来社)音読合宿。多摩キャンパス百周年記念館にて。初めから音頭して、たーくんがわからないところを解説。
5月8日(火) 3限。519教室。ハーバーマス読書会。
5月9日(水) 2限。8階会議室A。資本論読書会。第1章第3節。
5月15日(火) 3限。519教室。ハーバーマス読書会。15:30~17:30。8階会議室A。グローバル・ベーシック・インカム研究会。
5月16日(水) 2限。8階会議室A。資本論読書会。
6月9日(土) 15:00~18:00 市ヶ谷ボワソナードタワー、19階D会議室。アジア・アフリカ研究会主催 シンポジウム「北朝鮮を考える」文京珠ほか。18:30~21:00。市ヶ谷大学院棟302教室。グローバル・ベーシック・インカム研究会
6月末~7月初め 十大セミナーの2度の合宿。
7月末~8月 3ゼミ卒論合宿。1・2ゼミ合宿あるいは北海道「べてるの家」研修旅行。
12月初め 3ゼミ卒論合宿。
2013年2月 基地問題と青年会交流の恒例沖縄研修旅行。
今年のおおまかなイベントのスケジュール
(たーくん参加予定のイベントで、希望者があれば、ゼミ研修旅行になるかも。ほかにナミビア調査。)
6月2-3日 秋田 環境社会学会セミナー。八郎潟干拓問題などの見学。たーくんも報告予定。
6月23-24日 沖縄 沖縄大学。平和学会春季大会。たーくんも出演。
7月7-8日 八王子 十大セミナー、締めくくりのプレゼン合宿。
7月14-15日 広島 広島女学院大学。カルチュラル・スタディーズ学会。
8月下旬~2週間 レバノン パレスチナ難民キャンプでの子供向けアート・ワークショップ。
9月14-16日 ドイツ、ミュンヘン。 ベーシック・インカム国際学会(BIEN)大会。その後ナミビア調査。
10月26-28日 鳥取 日本村落研究学会。
11月23日 三重 三重大学。平和学会秋季大会。
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食らうべき学問をやろう!
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たーくんゼミニュース第46号 2012年度第1号 2012年4月2日発行
編集・発行:たーくん=岡野内 正(社会学部棟902研究室)
2009年12月発行の45号以来、2年3カ月ぶり。ゼミニュースの再登場です♡。
どうしてこんな長いお休み?…答えは、たーくんの人生と学問の疾風怒濤。
① 「ベーシック・インカム」論との出会い。09年初めくらいかなあ。しかも、それをグローバルにして、「地球人手当の理論」にすることを思いついて09年はそれに没頭。
② 講演と論文執筆。10年6月の多摩キャンパス読売新聞講座を皮切りに、秋にはイスラエルでのシンポジウム、11年ブラジルの国際学会、そして日本の諸学会で報告。雑誌や共著本に4つの論文。
③ 希望ゼミ生他との海外現地調査。ベーシック・インカム支給の世界発の社会実験プロジェクトをみるため、10年夏南アフリカ、ナミビア、11年夏ブラジルへ。…毎年の沖縄基地問題、北海道の精神病ケアの見学も。
④ 私立10大学国際系合同セミナーへのゼミ生の参加。09年から任意参加。11年の2年生からは、必修にして、私も、中間報告会や合宿、飲み会に参加。100人ばかりの他大生や教員たちと議論したり、騒いだり。きゃ♡
⑤ 多摩キャンパス自由セミナーの開催。10年秋から呼びかけて、毎週月水金の夜は、生協食堂で飯をくいつつ、自由参加の他学部生も交えて自由に夜まで熱い議論。ゲストも多数。
⑥ 古典読書会、合宿への参加。09年秋あたりから、ハーバーマスの理論書の音読合宿や、学生の要望で若手教員が始めた読書会や自主的勉強会の多くに参加。大原社研のグローバル・ベーシック・インカム研究会も始動。
⑦ ただバス運動から世界大学へ。交通、食堂改善、フリーペーパー、有機農業実習、地域連携など、キャンパス活性化に取り組んできた必修サブゼミ活動だったが、11年には必修をやめ、学生中心の、ただバス、有機農業サークルCF、さらに地域に開かれた世界大学、大学が関わるエッグ食堂、多摩ボランティアセンターに協力。
…ほかにもたくさん。…とにかく、忙しくて、ニュースつくる時間がとれなくて。
では、なぜ、今になって?…答えは、たーくんゼミや周辺の人々の人生の疾風怒濤。
① とにかく、伝えなきゃ。ゼミとその周辺で起こっていること。
② たーくんや、先輩たちが順調に重ねてきたりっぱな失敗を、みんなの栄養にしたい。
③ すごくおもしろいゼミにできそうなので、そのしかけをぜひ、知ってほしい。
…というわけで、ひさしぶりのゼミニュース「食らうべき学問」を、どうぞ!!
国際系の学問をがっつりやりたい人~?? んふ♡
演習1・2 今年の十大ゼミのテーマは安全保障。たーくんも沖縄の平和学会で報告。最近、ハーバーマスなどの社会理論を取り入れて変貌する国際関係論、国際政治学、安全保障論、防衛戦略論の基礎と最前線を一挙に。2年生と3年生いっしょにやるよ~ 3年からの参加も歓迎。(ただし十大ゼミ必修です!)
演習3 年末はゼミ論みんながんばったね!ひたすら卒論書くよ。ネタ本の書評から初めて、基礎からじっくりやるよ。最初の授業のときでいいので、卒論テーマとネタ本(先行研究の中で優れたもの)、おおまかな構成を書いたエントリーシート(!)を提出してね。
(就活で参加できない人は、授業の時までにエントリーシートをたーくんのPCメアドに、必ず送ってください。就活に負けないように、通信教育方式も活用するよ。)
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当面のスケジュール
4月3日(火)12:00-13:00 402教室。 演習1・2ゼミ説明会。教室でひとおおりの説明の後、エッグカフェで自由参加の昼食会。
4月6日(金)12:00-13:00 620教室。 演習1・2ゼミ選考会。合格発表。歓迎会。たいへんだけどやりたい!という意思を確認したら、即合格発表。軽食が出る祝賀歓迎会。新人は、夕方までに十大のセクション登録。
4月7日(土)13:30-17:20 代々木オリンピック・センター(小田急線参宮橋徒歩5分)第40期10大学合同セミナー開会全体会。シンポジウム。セクション会議。終了後歓迎会。たーくんも参加しますぅ。
4月10日(火)夕方から 十大ゼミ、最初のセクション会議。
4月11日(水)4限 620教室 最初の3ゼミ=4年の卒論ゼミ。卒論エントリーシート提出。5限 620教室 最初の1・2ゼミ=2年と3年の合同ゼミ。今年度のやり方の決定。終了後夕食会。
4月半ば以降~5月半ば 1・2ゼミ合宿。国際関係と安全保障の基礎理論合宿。ハーバーマス「公共性の構造転換」読解合宿、など計画中。
6月末~7月初め 十大セミナーの2度の合宿。
7月末~8月 3ゼミ卒論合宿。1・2ゼミ合宿あるいは北海道「べてるの家」研修旅行。
12月初め 3ゼミ卒論合宿。
2013年2月 基地問題と青年会交流の恒例沖縄研修旅行。
今年のおおまかなイベントのスケジュール
(たーくん参加予定のイベントで、希望者があれば、ゼミ研修旅行になるかも♡。ほかにナミビア調査も検討中。)
6月2-3日 秋田 環境社会学会セミナー。八郎潟干拓問題などの見学。
6月23-24日 沖縄 沖縄大学。平和学会春季大会。たーくんも出演。
7月7-8日 八王子 十大セミナー、締めくくりのプレゼン合宿。
7月14-15日 広島 広島女学院大学。カルチュラル・スタディーズ学会。
8月下旬~2週間 レバノン パレスチナ難民キャンプでの子供向けアート・ワークショップ。
9月14-16日 ドイツ、ミュンヘン。 ベーシック・インカム国際学会(BIEN)大会。
10月29-30日 広島 広島修道大学。平和学会秋季大会。